楽しみと努力のベクトルが揃うと目標を大きく超えられる
こんにちはセイケンです。
楽しみと努力する事を分けて考える人がいる多いですが、それは勿体ない事だと思います。
私もずっとそう思っていましたが、2つのベクトルっている事柄は大きな結果になっている事に気がつきました。
「楽しみ」と「努力」2つのベクトルが揃うと目標を大きく超えられる
楽しい事ばかりやっていても、人間は成長しない。
辛くても努力をしないと、人間は成長しない。
発想力が乏しい思考の結果、はじき出された言葉の様に思います。
選択肢の少ない世の中で育った場合、こんな風に思ってしまうのかもしれませんね。
ただし今の世の中はホントに色々な事を、自由な発想で繋ぎ合せる事が出来ます。
自分が求める物を手に入れる方法。
それを楽しみながら達成する方法は必ずあるはずです。
これからは「二兎を追うものが二兎を得る」の精神で、大きな結果に繋げましょう。
目標を大きく超える為に「楽しみ」が必要な理由
どんなに努力だけ積み重ねようとしても、継続出来ないからです。
私は学校の勉強が好きではありませんでした。
(親には申し訳ないくらいに)
ただ公文式に通っていた事もあり、算数・数学は得意でした。
そしていつの間にか得意なだけで無く、難しい問題を解く事が楽しいと感じるまでになりました。
辛い受験勉強も数学だけは、何時間でも続ける事出来ていたと思います。
数学が私の成績を上げる柱となり、進学先のレベルを少し上げる事に役立った記憶があります。
また「成功している人は努力の基準値が高い」とよく聞きます。
確かにやっている事を聞いて見ると、半端ない結果を出している人は半端ない努力をしている様です。
ただし本人的には当たり前の事と言った具合に捉えている人が多いですね。
これは同じ行為であっても「苦」と感じない状態に自分を持っていけるケースが多いのではないでしょうか。
またわそれ自体が「楽」な行為であったりします。
故に幾らでも積み重ねる事が出来ますし、時間と体力を存分に投資出します。
そうなれば結果が出るのも時間の問題ですね。
実生活の2つのベクトルが揃ったケース
例えば間も無く訪れる夏に向けて、ジム通いや筋トレを続けている方などが該当します。
明確な目的があり、そこに着々と近づく努力を続けているのだと思います。
それを一緒に取り組む仲間がいたり、変化に気付いてくれるがいると気持ちが変わりますよね。
目標達成した後も辞めるのが勿体なかったり、更に深い知識を身に付けたいと言う欲望が生まれてくるはず。
「ここまで出来たんだから、もうチョット。」
「新しく知った知識を試したい。」
それが継続力となり、飛躍するエネルギーになります。
そんな思いが当初の目標を達成した貴方のレベルを更に底上げしてくれます。
私も拳法を続けて20年を超えました。
選手としてのピークを過ぎて、教える時間が長くなって来ました。
週末などは複数の道場を掛け持ちする事も多々ありますが、全く「苦」ではありません。
私にとっては「楽」なのです。もっと関わりたいのです。
周りからは「努力している」と見られ、私自身は「楽しんでいる」と見ています。
そんな状態が続いたお陰で、相談を持ちかけられたり、何かを任せて貰えたりします。
私の実力が何処まで伸びたかは分かりませんが「楽しみ」と「努力」が揃ってからこそ、有意義な時間を過ごせているのだと思います。
これからも継続です。
最後まで読んで頂きありがとうございます。