独立・起業を目指すエンジニア

はじめまして。seikenブログと申します。 大阪で独立・起業を目指すシステムエンジニアです。 今の本業をしながら独立・起業に向けた活動や思い、その他関係ない事をここに記事としてUPさせてもらいます。

同じ方向を見ていなければ討論も無駄

こんにちはセイケンです。

 

人に何かを説明したり、決定する際に話はしてみるけれどもかみ合わずに最初から事が進まないなんて経験はないでしょうか

 

 

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同じ方向を見ていなければ討論も無駄

 

相談したり何か意見を求めて、人と話をする時に、唐突に答えを求めたり、答え有りきで話始めてしまっていないでしょうか。

 

人に話す時にはそれだけの強い思いが有るのかもしれません。

でも同じレベル感を最初から相手に求めてしまっては、投げかけられた側は受け取り切れずにお互いが消耗して終わってしまいます。

 

 

前提条件の省略が致命的な原因

 

話す側は色々と考えたり、事の経緯を知った状態です。それらの事が前提条件となり、話の説明から除外してしまっては相手には伝わるものも伝わりません。

 

目の前にいる人は他人です。育ってきた環境や考え方が全く違っていてもおかしく有りません。

同じ環境で育った家族や兄弟であっても同様です。

ある事柄について同じインプットをしてみても、万人の考えがあり同じ答えにはならないからです。

 

「相手も同じ考えになるはず」「ここまでは理解出来るはず」と言った具合に、話の前提条件を無しに進めようとしても噛み合わなくなります。

 

お家の中で家族の誰かが「我が家は今日から○○にします!」そんな事をいきなり言い出したらあなたはどう思いますか?

 

何かロクでもないテレビ番組に影響されたんだな🤔

と言った程度で軽くあしらってしまいますよね。

 

相手に理解や賛同をお求める時はそれに見合った情報を合わせて提供する事を心がけましょう。

 

せめて見たテレビの内容も話さないとダメなのはわかりますよね。

 

 

 

ピンポイントでは無く目的と経緯を明確にする

 

対策としては目線を合わせる行為が必要になってきます。

会社の同期のと飲みの席で唐突に「独立して事業を起こすんだ!」と言った所で一瞬場が盛り上がるか浮いてしまいます。

 

自分は何かに触発されたり、以前から虎視眈々と機会を伺っていたとしましょう。

 

その流れを話の中で構成して進めて行けば、両案や協力者が現れるかもしれません。

 

一緒に居る人達はあなたが何に触発され何を考えたかなど、当然知らないのですから「コイツはどうかしてしまったんだな」で片付けられてしまいます。

 

話す側も大事な所の説明を飛ばしてしまっているのに気が付かず、一人で熱くなるなんて勿体ないです。

 

話した事により次の一手が見つけられるにはどうしたら良いか?これを念頭に置きつつ話をしてみましょう。

 

きっと相手のリアクションも変わってくるはずです。

 

確信をついて周りをアッと驚かす積りが、1人孤独にならない様な気を付けましょう。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

失敗が失敗で無くなる方法

こんにちはセイケンです。

 

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失敗が失敗で無くなる方法

 

好きな事・やるべき事に取り組んでいる間はどんな結果を招いても、失敗には繋がりません。

 

ドンドンと挑戦し、失敗してそこから再び新たな挑戦を続けてください。

 

嫌いな事・やる必要の無いものはソモソモ挑戦するべきかどうか判断する必要があります。

➡️大半は不要な挑戦である事に気付いてください。

 

挑戦する過程で過程で得られた物の全てが成功に必要な材料であったと気づくはずです。

 

振り返った時に「あーすれば良かった。」「こーすれば無駄にならなかった。」と反省する事になるでしょう。

 

始めた当初の目標に到達するまでに、それらの反省点が分かっていればより早く目標には到達出来た事は間違いありません。

 

しかし目標に到達するまでの過程で味わった苦い経験は、あなただけにしか手に入れられない貴重な武器になります。

 

その武器・経験を得た事は失敗による損失以上の収穫物です。

 

 

間違いをせずに生きる者は、それほど賢くない

 

これはフランスのことわざです。

(フランスだったはずです👨‍🎓)

 

・失敗を恐れて行動しない者。

・間違いが無いと分かった時のみ行動する者。

こんな人を揶揄したことわざだと思います。

 

そしてこの様な人は行動した所で成長は出来ません。

 

他人の助言から決断をしたり、他人の成功例を見て安心・真似をしてしまいがちです。

こう言った人は失敗を招いてしまった時に他人に依存します。

 

「助言を信じたから」「他は上手く行っていたから」その様な事を言っても、失敗が成功にはなりません。そして失敗から何も学べない状態に陥ります。

 

自分が主体となって行動していない為、自分が失敗した事を認識出来ず、反省する事も改善する事もありません。

 

振り返って見ると、確かにそう言った人を見てきた経験があります。そして賢いと言える人はいてませんでした。

口は上手いのですがチョット残念な人達ばかりです。

 

失敗する事が賢い訳ではありませんが、自分で考え行動出来ない人に明るい未来は訪れない事をこのことわざは教えてくれているのだと思います。

 

 

望まない結果(失敗)を招いた時に納得出来るか

 

自分で考えて行動するとはどう言う事か。

 

何かに挑戦する際に、事前にシッカリと下調べ・研究を行う人だと思います。

 

その上で挑戦し得られた結果は内容に納得出来ています。

そして冒頭で述べた好きな事・やるべき事であれば、その結果から次の道が自然と見つかります。

 

<成功した場合>

・同じ方法を続けるべきか。

・新しい角度でアプローチするのか。

 

<失敗した場合>

・準備に問題は無かったか。

・行動に問題は無かったか。

・原因は取り除けるか。

 

好きな事・やらないといけない事だからそこ、上記の思考を繰り返す事が出来ます。

 

嫌いな事・やる必要の無い事に上記の思考は続ける事は不可能です。

 

その為にも自分がやろうとしている事は本当に必要な事か良く考えて判断して下さい。

 

その判断に誤りが無ければ、どんな行動も結果も失敗ではなく成功であり成功の材料になるのです。

 

「失敗は成功の元」良く聞くフレーズです。

良く聞き過ぎて、とても大切なメッセージを見過ごしてしまいがちです。

 

「失敗」と「成功」は「裏」と「表」の様に対になる存在でない事を忘れないで下さい。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

子供の成長は早いので教える側は気が抜けない。

 

こんにちはセイケンです。

 

皆さんは子供の頃に何か習い事をしていたでしょうか。

私は小学生の頃は公文式とピアノと水泳(夏休み期間中のみ)に通っていました。

 

今は学生時代に始めた拳法の指導員をしています。教わる側から教える側に立場が変わりました。

 

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子供の成長は早いので教える側は気が抜けない

 

 

先日ま支部道場に行って来ました。

春過ぎくらいに入門した子供達がいます。

 

そこで子供の成長は本当に早いなと強く感じました。

始めて教わる事だからでしょうか、スポンジのように言った事をグングン吸収して行くのです。

 

興味を持って前向きに取り組んでくれているのが一番の要因だと思います。一つ一つやりながら、且つ  前回教えた事を思い出しながら熱心に稽古をしてくれるのです。

 

教える側の私としては次に何を教えるべきか事前に構想しておかないと後手に回り、その子の成長を鈍化させてしまう責任を感じながらの一日でした。

 

そしてこの事は全ての子供達に言える事では無いかと思いました。

(私が見る限り)ただ何と無くやっている様な子も、何かの拍子に大きな変化を遂げ私を驚かせてくれます。

 

世の親御さん達の苦労は想像に容易く頭が下がります🙇🏻‍♂️

 

子供達の成長が早い事はとても嬉しい事であり、もっと私自身が成長したいと強く思えるきっかけになります。

 

※逆に思春期を迎えると、何を教えようとしてもザルに水の状態になってしまいます。そんな時は私の十八番「仲良くする」で解決させています。

 

 

 

子供達に教える事で教えられる

 

 

「人に教えられる様になって初めてモノになる。」とはよく言ったものです。

 

子供達に拳法を教える機会があるお陰で、私は自分の身を見直す機会が得られたと思っています。

 

きっと私の事です。自分に甘え、わわからない事も後回しにしてしまう事が多く、それなりの惰性で物事をこなしていただろうと思います。

 

子供達には

  • 上手くなって欲しい。
  • 楽しいと思って欲しい。
  • 稽古に来たいと思って欲しい。

そんな欲求が私の中に芽生え、コッソリと稽古し、色々と模索する機会が増えました。

 

そのコッソリと努力する中で自分が見落としていた事、おざなりにしていた事が明確になります。

 

自分のアラを自分で見つける事の出来る機会なんてない滅多に無いものだと思い今ではとても感謝しています。

 

 

実生活でも教え合う機会を作る

 

前述の私の場合は子供相手なのですが、これを実生活にも取り込む事は出来ないでしょうか?

 

会社の中で勉強会と称して自分がやっているプロジェクトの説明や後輩達に何かを教えたりするのですが、手応えを感じた事はあまりありません。

 

正直に言うと教える側も教わる側も、本気度が足らないだけと思います。

 

お互いが大人なだけに入り込み方が甘いのだと思います。勉強会などでそれなりの収穫を得るためには、土台に人間関係が必要なのだと気が付きます。

 

尊敬する先輩・上司からのアウトプットの場合、内容が同じであっても吸収量は異なると感じた経験があります。

 

そしてこれは会社なら関わらず家族内や恋人同士であっても同じ事なのではないでしょうか。

 

上下関係を作らずとも、相手を尊敬する気持ちが有れば言ってる事の理解度が高まります。

今まで聞き逃していた事もシッカリと受け止めて吸収出来るようになるはずです。

 

皆さんも心当たりがあるケースに取り入れて、みてください。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

会社に入って出世する事とフリーランスで稼げる事

こんにちはセイケンです。

 

最近、私はTwitterYouTube自己啓発的な情報を仕入れています。

その中ではフリーランスをお勧めする傾向が強く、実際どうなのかなと思い考えを纏めるために記事を書きます。

 

皆さんの参考になる or意見が聞ければ幸いです。

 

 

会社に入って出世する事とフリーランスで稼げる事

 

会社で働くと言う事を「自由がない」「会社のために消耗する」など悲観的に表現した意見を多く聞かれます。

 

私もそう思います。

 

今の日本では、終身雇用の崩壊や壊滅状態の年金制度、そう言った背景から見るとその意見はもっともだと思います。

 

どれだけ頑張っても実績・利益は会社がほぼ吸い上げてしまいます。もし新しいプロジェクトを成功させた後、社外に放り出されたら社員はプロジェクトを成功導く経験は得られたとしても、生きていく力はほぼ残っていません。

 

会社の中では放り出される前に上位に出世していく必要があります。

 

そして上位に登ろうが早い段階で外に出て行くにしても、その中での実績を外部に持ち出すことは出来ません。

 

在籍中にその先の準備をしておく必要があります。(今の日本では)

 

フリーランスがその状態に近いでしょう。

 

自ら仕事を取り、コストを考え、事業を回す。

自らの事業を持てていない私には、とてもハードルが高い事に思えます。

 

どちらも難しい事のである事に違いはありませんが、自分の中により多くの物を蓄積出来る後者の方が可能性は高いのではないでしょうか。

 

本来の目的。出世・成功ではなく幸せ。

 

前述では会社内で出世するやフリーランスで稼げる事を主題としました。

 

出世や稼ぎも自分を高く評価された結果である事に違いはないでしょう。

 

高く評価される事は悪い事ではありません。

ただしそれを目的に仕事をしている人は居ないと思います。

 

会社員を続ける事もフリーランスになる事もどちらも何かを費やし、それぞれの物を得られます。

 

会社員をしていれば、安定的な収入を得る事が出来ます。自由や将来の不安や本来必要の無い消耗を迫られる事になりますが、働いている間は家族を養う事が出来ます。

 

フリーランスは直ぐに稼げる様にはなれないでしょう。自分に稼ぐだけのスキルを蓄積させる必要が有ります。

 

そして確実に稼げる様になる保証も有りません。

モチベーションを保つ方法を見つけて居ないと、ストレスで禿げてしまいそうです。

更に家族の不安や周りからの白い目も中々の勢いで攻め立てて来るでしょう。

(青天井の成功を手にした時は誰からの文句も無くなるのですが、実現性は???)

 

 

日々、身体を気遣い健康寿命を延ばすのと同じ様に、定年(?)を迎えた後も生きていける様に準備をして行きたいと思っています。

 

ただしこれは多くの人にとって本当の目的では無いはずです。

生まれ持った才能を嘆いても仕方がない

 

こんにちはセイケンです。

 

皆さんはこんな事を思った事はありませんか。

アイツは顔が格好良くて羨ましい。

もっと歌が上手ければ本当は・・・。

なんでこんなに運動音痴なんだろ。

しかしこの事を思っても何も変わりませんよ。

 

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生まれ持った才能を嘆いても仕方がない

 

他人を羨む気持ちは誰でもあります。でもいくら羨ましい思いを募らせた所で何の役にも立ちません。

 

比較してしまうのは自分より優れた人の1つの才能。そのだけをクローズアップして悲観的になる事は自分の優れた所を見過ごす事になります。

 

それはとても勿体無い事です。

 

 

手にしたカードで戦うし醍醐味

 

私だって取り立てて秀でた才能を有する人間ではありません。

(ブログの毎日更新も2ヶ月持たなかったくらいです💦)

 

そして優れ才能を有する人を羨ましく思う事は良くあります。

 

しかし自分が人を羨ましく思っているのはその人の一面でしかありません。

 

結果を出している人は努力し、深く考え、そして行動している人です。

 

優れ才能を有していても、その使い方やタイミング協力してもらえる環境が無いと結果には繋がりません。

 

故に与えられた才能と言うカードでいかにして戦うか。これが人生を楽しむ&生き抜く為に必要な思考です。

 

少しばかり良いカードを持った人がいたからと言って、戦う事をやめて思考を停止してしまっては自ら負けに進んで行ってる様なものです。

 

 

戦う為の思考

 

そもそも、いきなり勝つ事を求めていたりはしませんか?

チョットやって見ただけで「上手くいかない」「自分には合わない」と諦めてしまっては負け続きになります。

 

何かを始めた瞬間はエンジンの温まっていない状態です。そんな状態で上手く進めるはずはありません。

 

いきなり燃費良く高速に走り出す事は出来ません。最初はパワーも要りますし、方向修正せず真っ直ぐ走る事も不可能です。

 

もう少しの間、自分に猶予を与えてあげて下さい。

そうして居れば自分が本当に戦うべきフィールドはどこなのかハッキリしてきます。

 

力も付けずに全く勝負にならない相手と、真っ向勝負は効率が悪すぎます。

 

優れ才能も有した人を羨む前に、一呼吸置いて以下の事を思い出して下さい。

思ったほど結果を出すのは難しものではなくなるはずです。

  • 勝てない初期に大勝負しない
  • 勝てる様にカードを育てる
  • 持ってるカードで勝てる市場を見極める
  • 戦いの中で自身を成長させる

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

こだわりが無駄と分かる迄は成長しない

こんにちはセイケンです。

 

<こんな人に読んでもらいたい>

やりたい事が出来ずに1日が終わってしまう。

色んな事を頑張ったが結局何も進んでいない。

 

 

 

こだわっている事が無駄であると分かるまで成長はありません。

 

「私はいつも○○と決めているの」

「一手間掛けるのが本当の顧客満足なんだ」

 

そんな話を耳にした事はありませんか?

へーそうなんだ。と思いますが同時にそれが何になるんだろうと思います。

 

ハッキリ言って、そんな事にこだわりを持っている間は何をやっても成果は出ませんね。

 

何かを始める時に道具を揃えることがから始める人がいますが、そんな人と同じどころかそれ以下かもしれません。

 

目標が道具を揃える事ならば、無事に達成しおめでとうの状態です。

 

ただし、勉強をして新しい知識や感性を磨く。運動して大会で結果を残す。が目標であるならばまだまだスタートすら切れていない状態です。

 

外せない○○や一手間は「蛇足」であるケースは殆どです。

そこに意識が向いている間は本来必要な事は何も積み上げられていない事に気がつくべきです。

 

 

目標と直結している事にだけ力を注いでください。

 

 

何故それが必要なのか本人に質問した事があります。ですが納得の行く答えが返って来た試しがありません。

 

さも本筋であるかの様に話しているので、疑問に思っただけです。しかし、その反応が痛いところをつきやがってと言った具合です。

 

参考になりました。

 

自分自信がどうしてもそうしたい(道具を揃えたい)なら問題無いと思います。

 

ただし何かの目標に向かっての事であれば、まず何の役に立つか説明の付く事に注力すべきだとわかりました。

 

無駄なこだわりを本筋を抑えた事であるかの様に語る人の話は気持ち半分で聞いておきましょう。

 

無駄と自己満足・好き嫌いの違い

 

たとえ無駄なこだわりであっても、リソースに余裕があり満足や好き嫌いでの選択であれば問題ないと思います。

 

自信の気持ちが満たされてる事は大きな意味があります。

 

宿題を始める前に部屋を片付ける行為。

 

片付けた後、部屋がスッキリして集中出来るので有ればやるべきです。

 

宿題に手を付けたく無いから片付けを始めるのは無駄です。

 

これは時間切れすらありません。宿題が終わらなかった事実が残るだけです。

 

ストイックさを身につけ、最低限の寝る・食べる以外は全て捨て去り、やるべき事だけにコミット出来ると爆伸びするかもしれませんね。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

歳を取ってもコミュニティを誤らなければ生涯現役

こんにちはセイケンです。

 

私は学生時代から拳法を始め、今で20年以上も継続しています。

 

先日も支部道場に練習に行ってきたのですが、そこには私より更に20年程キャリアのある大学の先輩が居てます。

 

お孫さんもおられるであろう年齢(詳細は未確認)にもかかわらず、本当に元気で羨ましい存在です。

 

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コミュニティを誤らなければ生涯現役で居られる

 

人間は一人では満足した人生を送る事は出来ません。

自分に適したコミュニティが有ってこそ、それが実現できるのです。

 

日本人は世界的に見ても長生きが出来る国らしいですね。そして長生きと共に求められるのが健康寿命ではないでしょうか。

 

淡々と毎日同じ事を繰り返し、特に仲の良い訳でもない人との接触で一日を終えていては達成出来ません。

 

これはお年寄りだけでは無く、現役世代の方達にも言えると思います。

 

社会に出て働いている方。やってしまっていませんか?

  • 毎日同じ事を繰り返し
  • 仲の良い人と接触せず一日を終える

危険な状態だと思います。

 

そんな状態になってしまうと、いざ自由を手にした時に何をして良いかわからなくなってしまいます。

 

 

自分自信が適したコミュニティを判断出来る

 

 

そうは言っても厳しい世の中になっています。特に日本は酷い状態です。

なかなかそんな物に出会える事は無いかもしれません。

私もまたまた拳法に出会えただけです。とてもラッキーだと思っています。

 

拳法に出会っていなければ、どんな人生を送っていたか想像付かないくらいです。

 

ではどんなコミュニティが必要なのでしょうか?

 

私が先日、練習に参加した支部道場はお孫さんがおられる様な方から小学校入学前の方まで幅広い年齢層になっています。

 

これが秘訣では無いかと思います。

 

近い年齢層で集まるのでは無く、入り乱れて練習しています。

年齢の垣根を超え自分が旨を張って満足していると言えるコミュニティこそが鍵になるのでは無いかと思います。

 

 

正直な意見がコミュニティを広げる

 

まずは自分の意見をハッキリ言える環境を作る事が大事なのだと思います。

 

社会人生活が長い方は少し周りに気を使って発言する方が、落ち着く&楽だと言う方も多いようです。

 

ただし、その手法で構築されるコミュニティは所詮会社のコピーです。本心を偽り、疲れる時間をくりかえすコミュニティになってしまいます。

 

ハッキリと意見を言うと行っても、反感を買う様な発言をする必要はありません。

正直にあれが好きこれが嫌いと言える様になれば、同じ意見の者同士が集まり自身に合ったコミュニティが形成されるはずです。

 

それに加えて大事な事。

反対意見を否定するのはNGですよ。異なった意見にも耳を傾ける気持ちは忘れないでください。

 

反対意見を受け入れられる様になると、年齢差なども新たな発想を取り込む入り口となりコミュニティ内の淀みを浄化してくれます。

 

正直で  且つ  気張らない

 

これが大事ですね。そのスタンスで居れば自然な状態で若さを維持出来るのではないでしょうか。

 

仕事のない休みの日日くらいは正直に行動しましょう。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

義務教育はいつ受けるべきか

こんにちはセイケンです。

 

最近はネットの発達により色んなビジネスが立ち上がり、若い方でもお金を稼ぐことが出来る世の中になりました。

 

日本では相変わらず少子化が問題であり、その原因の1つが子供を産んで養っていくだけの経済力が不足していると言われています。

 

 

義務教育はいつ受けるべきか

 

私は国語と算数の基本が出来れば残りはずっと後でも良いのでは無いかと思い始めました。

 

今の日本では6歳から9年間が義務教育を受ける様になっているが、今の世の中から見たときに義務教育の内容と時期が適正では無い様に思えて来ました。

 

総合教育などと呼び方を変えると共に少し幅の広い事を子供達に教える様になったと聞きますが、相変わらずお金の知識を得る機会が設けられていません。

 

お金の知識は国語や算数の基礎と同じくらい大切な事だと思います。

 

だから「残りはずっと後でも良い」と言わせて頂きました。

 

 

義務教育の内容が時代錯誤

 

昭和の時代であれば日本は豊であり、教養を身につける事が重要視され、生活に必要事は国が保証出来るくらいの力がありました。

 

しかし今現在の日本では国民の生活を保証出来る仕組みが機能しておらず、昭和の時代に求められた教育では生きて行けない事実があります。

 

更に言えばお金の仕組みだけでなく、国内の無駄な制度に付いても知る機会が必要です。

 

何かに付けて規制がかかり、時代の変化に付いて行けない人の考えでは世界の国々からドンドンと追い抜かれていきます。

 

噂では検索エンジンを作っては駄目という規制もあったんだとか。

今では考えられない間の抜けた規制です。

 

 

義務教育は必要

 

こんな事を言っていますが義務教育が不要であるとは思っていません。

 

ただ、今の日本には世界と戦える世代を育てる事が必要だと思っています。

 

冒頭で述べた様に若くして(中学校くらい?)お金の稼ぎ方を知り、成果を出している方が居てます。

行動力や発想、知識への渇望等を持ち合わせた、優秀な方達なんだと思います。

 

日本でもそう言った方が産まれています。

 

もっと自由な発想で世界を作って行ける環境を提供しないと、折角の才能を潰してしまうのかもしれません。

 

古い頭の大人達が「子供」に対して思い描く理想とは別に、本当に身につけさせるべき物は何なのかを考えておかねばならないと思います。

 

GAFAを変えるプラットフォームが日本から出て来て欲しいです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

苦手なことの付き合い方と克服方法

 

こんにちはセイケンです。

 

苦手な事に真正面からぶつかって、結構な苦労をしていた記憶があります。

 

逆に苦手な事・やりたくない事を避ける事でうまく乗り切れる事も有りました。

 

このき読む事で苦手な事との付き合い方の参考になればと思います。

 

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苦手な事の付き合い方

 

 

そもそも目の前にある苦手な事に真正面から向き合う必要が無い。

 

そう思います。

 

色々な事にチャレンジする事で自分は何が得意で何が苦手かを知る事は大事な事です。

 

その結果、苦手と分かった事に対して、時間と労力を消費させる必要は無いと思います。

 

 

真正面から向き合わ無いメリット

 

 

私の場合、小学校・中学校・高校の間は俗に言う「5教科」を勉強していました。

 

そして英語と社会科が苦手な私は理系の大学に進みました。

 

英語と社会科が必要としない道(←入学試験に置いて)が有るにも関わらず、あんなに苦労させられなければ成らなかったのか。

 

疑問です。

 

今では苦手であった二教科はどちらも必要性を感じると共に興味を持つ様になりました。

 

そして私と全く逆の方の声も多く聞かれます。

という事は、教え方が悪いわけでも不必要事を教えられていたわけでは無いのだと思いました。

 

ただタイミングの問題。

 

必要だと思ったり、興味を持った時には自然と吸収出来るようになります。

 

 

無駄な事へのリソース消費を回避

 

学校教育の在り方について、深く述べる気はありません。ただ勉強すると言う行為自体はとても大事な事です。

 

大人になってからは勉強とは違い「ホント無駄だな」と思える事にも多くのリソースを消費させられる世の中になっていると思います。

特に仕事関係は酷いもんです・・・。

 

例えば

 

出席する意味のない会議

お祝い返し

保険

 

何かを狙っての行動であれば、行うべきです。

ただし皆んながやっているから、周りの目が気になるから、と言った理由でやっている事が多いです。

 

まあ断ち切るのは勇気のいる事ですが、やって仕舞えば随分と気が楽になります。

 

 

私が苦手を克服した方法

 

スルー出来る事であれば、そのまま放置で問題ありません。

逆にどうしてもやらねばならない事は、いかにして楽に終わらせるかを意識します。

 

ここで紹介する方法は大きく2つあります。

(1つは私の個人的な話なので参考にならないと思います)

 

気持ちを入れず、機械的に処理

 

会社の報告書などが良い例です。

 

アウトプットする型を事前に決めておく事で、それに費やす時間や思考を最低限を抑えます。

 

また苦手な事に対しても高い評価を得よう努力する必要はありません。

不合格で無ければ良いのです。

 

事前に苦手な事を研究しておけば、繰り返し訪れる苦手な事に気持ちを揺さぶられ、他の事に対してもモチベーションを下げられる事を回避できます。

 

苦手を克服出来た自分を格好良いと思う

 

私は食べる事が好きなので、好き嫌いもあまりない方でした。

 

しかし学生時代までトマトジュースとシイタケが苦手でした。

 

そして飲食店でバイトをしている時、厨房で働く料理長に煽られ、良い歳して詰まらない物(トマトジュースとシイタケ)を苦手している事が格好悪い。と言う話になり、食べられる様になってやる!と一大決心。

 

気が付けば自らそれらを食する様にまでになりました。

 

結局、苦手と思っている事も乗り越えて仕舞えば実は大した事はないのかもしれませんね。

 

深く考えずに、どっかりと構えておきましょう。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

習い事を継続する為の要素

 

こんにちはセイケンです。

 

拳法道場の支部で指導員をしています。

 

お子さんを預かる事が多いのですが、体験・見学に来られた方が再び来る傾向お記事にしておきます。

 

知り合いの紹介で来る方

兄弟・姉妹で来る方

親が最後まで見ている方

 

以上のような方達は入門を前向きに考えて頂けたり、その日のうちに入門を決められる事が多いように思います。

 

初めてなので難しい事や危ない事はさせない様に気を付けています。

 

当然、初めての事だから出来なくて良い、半分くらいのメニューで休ませながら見るなど、とても気を使いながら教えます。

 

そして、また来て頂ける・入門を考えると言った答えが返ってくるととても励みになります。

 

冒頭で述べた傾向から、指導の内容よりもお子さんにとって安心出来る環境が楽しめる・続けられる事になるのかなと思います。

 

私は小さい頃に公文式に通っていました。

結果として小学校を卒業するまでの間、続ける事が出来ましたが、最初はとても不安な思いで通っていた記憶があります。

 

知っている人が近くにいる、見てくれているそう言った環境はやはり大きな安心なのではないでしょうか。

 

小さい内に何か習い事をさせるのはとても大事だと思います。

習い事の内容や向き不向きの前に、本人が「もう一度やってみても良い。」となる環境を作ってあげる事も大事なんだと思いました。

 

私が続いて拳法は学生時代に偶然出会ったものです。

もしかしたら拳法以上にもっと私に合った何かがこの世に存在しているかもしれません。

 

ですが今の私なとってはこの拳法がとても大切な財産になっています。

出会えてとても良かったと思っています。

 

私はこの偶然の出会いから今まで継続してこれました。

 

他の方達にも偶然の出会いが一時の物ではなく、末永くいずれは財産となるやうな物として受け取って欲しいです。

 

そう思いながら道場に来て頂いた方には接して来ましたが、振り返ると継続出来るかどうかは私の努力量はまだ大きな要素になっていない事にも気が着きました。

 

未熟物ですが今以上に腕・人間を磨き、より多くの方に私が財産と出来たこの拳法を楽しんで続けてもらえるように頑張ります。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

今日は本当に日記の様になってしまいました。

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初出掲載:2019年07月03日